Pパンのナンパでネバーランド 〜Never Ending Report〜

ピストン運動に全てを捧げた少年の物語

やれやれ、キャバクラの仕組みなんかわからないよ( 第1話)

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「確実にキャバ嬢を抱く方法なんて存在しない。声をかけた女性全員を抱く方法が存在しないようにね。」

 

僕は目の前で揺れているシーシャの煙にまどろみながら「そうだね。」とつれない返事を返した。それはキャバクラ遊びにも飽き出していたある夏の日のことだった。

 

世の中にキャバクラという店があることは周知の事実だ。つまり、キャバクラと聞いてチェーン店の居酒屋を想像する人はいないということになる。誰もが行ったことがあるいえば嘘と言えなくないようにも思う。ただ、キャバクラとは何か?ーーーこの命題を問いかけたとして、果たして何人がシステムを理解して、あのドアの向こうに入り、居心地がいいのか悪いのかわからないソファで女の子と談笑しているのだろうか。

 

幼少期から僕は女の子に不自由する人生ではなかったように記憶している。お陰で、高校に入るまでは告白は女の子からするものだと認識していたし、ありふれた少女漫画のような恋愛が全てであり、エロ本というのは一種のエンターテイメントだと考えていた。その因果関係は不明だが、人よりもずいぶん恋愛に待ちの姿勢で育った。そのお陰もあってか、青春時代には永遠待機という亀のような戦略をとったことで童貞を守り続けることもできた。こともあろうが、僕の恋愛経験は一気にガラパゴス化していったのだ。

 

年齢と平行線と思われた童貞は、二次曲線を描くわけでもなく、ある日突然プロットを打ったように消失した。その童貞に終止符を打ったのは、可愛らしい胸の小さな後輩だったように記憶している。大学入学後は、皆が羨むような派手な遊びに飛び込む勇気もなく、たまに遊びでナンパをしたり、会社員になってもたまに遊びでナンパをしたりしていた。当時の彼女たちは、僕がナンパをしていることを誰一人知らなかったように思う。たとえ、知っていたとしても何も言わなかった。ただ、突然別れを告げられると失ったものの大きさと、一種の清々しさのような入り乱れた気持ちを整理するために、メンタルをヘラヘラして過ごしていたように思う。それは、女の思い出は女で消せという友人Aの教えに実直に従った結果なのだと、今更ながら思う。はたまた、ただやりたかっただけなのかもしれない。その証拠に、一度セックスするともう顔も見なくていいような無機質な感情を抑えるために、たばこの煙と寝ている足を虚ろな目で、ただただ眺めていた。そこに残ったものは、やはり虚無感と少しばかりの性欲だけだった。

 

大学の4年次はそれまで抑えていたせいか、就活と研究室のストレスか、見事に遊びたいという欲求が津波のように押し寄せ、僕を宅飲みという簡易な合コンのようなものに誘った。遊びに慣れていない僕はスワッピングなどという考えもなく、家に置いていたPCDJで遊んでいるよく知らない女のお尻を眺めて終わっただけである。

 

えろ本であれば、つまみじゃなくて乳首をつまんでいるところだろう。

 

背広に手を通した後も、付き合いや飲み会というものを軽視し、ナンパや彼女との時間を大切にしていた。そんな20代を過ごしていると、当然のように人生の中でキャバクラに行くという選択肢はなかったように思う。キャバクラに通う上司をよそに、会社帰りに声をかけた女性から変人扱いされながら距離を0.03mmまで縮めることの方が有意義な人生であると誰よりも信じていたし、疑うことはなかった。それは、蝉が一年中を土の中で過ごし、短い成虫期を過ごすのとは全く関係ない話である。就活や研究も熱心にやった自分だが、声かけの勉強は一層に力を入れて学んだものである。ナンパに必要なことは全てインターネットの世界にあった。「Twitter」と「ブログ」という男に夢を見させる玉手箱だ。東京の有名ナンパ師はやたらロジカルだったように記憶している。そのお陰もあってか、仕事ではロジカル野郎というあだ名を後輩から付けられたのは言うまでもない事実である。

 

ゆっくりと進む時間の中で、僕のナンパでの経験値は着実に増えていた。気がつけば出張は全てナンパのための遠征旅行と変わっていた。キャバ嬢を攻略したいと考えるのはそれからずいぶん経ってからのことだった。

 

あれは忘れもしない、あるナンパサロンとの出会いだった。

 

続く

 

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